episode1

プライドと弱さ

人前で恥をかくことを非常に嫌ったり、怖れたりする。
そういう側面は誰の中にもきっとあるんじゃないだろうか?

人前で恥をかいている人を見ると、気の毒に思うし、憐れみを感じる。
つまり、僕は恥じるということは「よくないこと」という括りに分類しているわけだ。

ということは、僕は人前で恥をかくことを怖れているということになる。
「人前で恥をかくのは怖いかぃ?」と聞かれれば、答えは「はい」だ。

なぜそうなのか?と問われれば、それは一種のプライドなのだろうけど、裏を返せば、人からよく思われたいという意識の現れなのだとも思う。

また、何をもって「恥」なのか?という概念も人それぞれにあることで、恥の概念を多く持つ人は、自ずと自己の行動は萎縮的にならざるを得ない

そして…
「恥をかかないように生きる」ことと「バイタリティを持った行動」とは対極にある。

「恥を恥とも思わない…」という言葉があるが、その手の人の中には非常にバイタリティあふれる行動をしている人が多いように見受けられる。

恥をかけることって強いことなのだ。
恥をかかないように…というのは「怖れ」に屈していると言わざるを得ない。
プライドが高いというのは、実は心の弱さを見透かされないようにするための便利な道具として使っているのではないかとも思えるのだ。

かっこよくスマートに、つつがなく…
こういった表面的なかっこよさは「怖れ」の前に触れ伏している心の代償として得ている単なる「自己満足」に過ぎない。
ここに価値を見いだして本心からの満足を得ているなら構わないが…

表面的なかっこよさを不本意ながら…と甘受しているなら、人生の中で大いなる足踏みをしていると言うことになる。

自分のしたい経験をなおざりにして、表面的なかっこよさを甘受しているならば、今をどうすべきなのか?といえば。
順を追って自己変革に着手すべきなのだろう。

まずは、今自分がやりたいのにもかかわらず出来ていないことは何なのか?
他人がしていることで、なおかつ自分にはそれは出来ないと思ってはいるが、心の中ではそれが出来ることを羨ましく思っていることは何なのか?

どうして自分には出来ないと思っているのか?

その出来る出来ないを隔てている壁は何なのか?

その壁はどうしたら超えられるだろうか?手段は?

こうして自己を分析的に見つめ直す必要がある。

これは自分自身に言っていることであり、課題でもある。

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