episode2

僕はいろいろなメルマガを取ってはいるが、そのうちの一つの内容に腹立たしさを感じていたた。

ほかにも僕と同じ観点で腹を立てている人がいたらしく、そのメルマガの発信者に反論していた。
実は僕もこの反論者と同じように下記のように感じていたのだが。

絵空事はいうな。
本当に悩んだり困ったことのないヤツが言う無責任な戯言だ。とね。

ふむふむ。

実際にその発信者がどれくらいの知識を持っているか知らないし、誰彼というわけではなく、特定せずに僕なりの観点でかってにぼやかせてもらうと。

スピリチュアルな教えを中途半端な知識を持っているものがひけらかすのはいかがなものか?と思ってしまう。

どっかの自己啓発かなんかの本で書かれているような絵空事を、自分ができもしないのに偉ぶって自分自身のの言葉のように…

自分は悟りを得た者であると勘違いしているんかな。

知識をいかに多く持つかではなく、いかに自分が「正しい」霊的知識に基づいて実践しているか!これだよ。
その実践を基に語る言葉とただの知識のひけらかしでは厚みが違うのだ。

最終的には愛のレベル案のだと思う。
相手を思う、思いやりの心だよね。

相手を思う心こそ在れば、挫折も失望も味わっていて、真剣に生きることに悩み疲れている人に対して…
「嫌なことが起きてもそれは偶然じゃなく必然なんだよ。自分にだけ与えられたプレゼントだと思ってニコニコして感謝していましょうね…」なんて言葉を投げかけられるかな?

一般向けに広く浅くという意図なのかも知れないけれど。
浅いな。

心の傷ついた人にとっては、かえってその傷に目がいってしまうような言葉になりうることもあるのだ。

セラピストや相談事を受ける仕事をしていると、程度の差こそあれその人それなりに深く悩んでいる人と出会うことになる。
そういう人に対し、頑張れ!自分の身に起きている現実に感謝しろ!は、僕は禁句だと思っている。

「私だって頑張っているんです。だからあなたにだって…」という人もいるね。

でも相手の心の中では…
「それはあなたの現実なの。」
「あなたはあなた…わたしはわたし。」
冷静に受け入れを拒んでいるのだ。

浅はかな言葉なら垂れ流すのをやめた方がいい。

言葉の責任は重いのだ。
そういう責任に気付くべきだろうよ。
これは自分にとっても言えること。他人事では済ませない話だ。


indexへ